無関心と他人事vs関心と自分事
今、世間の目は特に若い人に対して、
「社会に対して無関心」と見ている意見がよく目に留まる。
本当に無関心なのか?と考えると、
個人的にはそうではないと感じる。
関心自体はあるのだけれど、
ただ他人事と感じてしまっているのではないだろうか。
テレビ・インターネットで浴びるように情報が入ってくる。
自分の国から遠い世界のことや、
確実に起こると分かっていても数年先の問題など、
いろいろな情報を得ることはできる。
しかし身近な「自分事」に落とし込めないのである。
しかも、こと日本人の教育においては、
正解があることに対して得意である「正解主義」なので、
正解のないような今日の複雑な問題に対して、
関心はあっても見て見ぬふりをすることが多いのではないか。
いち個人が問題解決にあたる際に、
理想なのは「自分事」として問題に取り組むことだ。
自分事となれば、問題に対して危機感が生まれ、行動を生み出す。
自分事として取り組むためには、
もちろん知識を身に着ける機会がまず必要だが、
さらにその身につけた知識を基にした「思い」をぶつける機会の創出が必要である。
当事者意識となるには思いや心が大事。
日本人が心を持つためには何が必要なんだろう。
日本人が忘れてしまっているのは、日本人のアイデンティティだと考える。
それは海外から日本を第三者的に見たときに生まれることが多い。
自分自身の留学経験からもそう感じた。
留学先だったアメリカの片田舎アラバマでも、
日本の空手やアニメなどが浸透していてそれに対して熱中している人を見ると、
言語も距離も関係なく、日本の文化の偉大さを感じたものです。
少子化問題や日本人の内向き志向のために、
留学する若者の絶対数は減少傾向にあります。
国内にいながらにしても、
日本人であることの意味を見出すような
ムーブメントを起こす必要があります。
アイデンティティを持つことによって当事者意識が生まれ、
身の周りのことに自分事として接するようになり、
あらゆる問題に対してアグレッシブな活動ができる。
そんな人材を創っていきたいと考えています。